Behind The Scene...クルーズの舞台裏日記

cruiseって楽しいよ!もと乗務員が語るてんやわんやの船上日記!

上陸! 日本編①

さて。最初に配属されたコースは

台湾を出発して日本は那覇か石垣を訪れて

また台湾に戻るショートコースがメインだった。

ので、一週間のうち3日程度は日本に戻る。

最初のころはとにかく日本人は自分一人で

カルチャーショックや船内用語についていけず、

めそめそ泣いては母親に電話して愚痴を聞いてもらっていた。

沖縄にはそんなに興味がなかったけど

英語が全然できない国の言葉をしゃべれるとあって

上陸時 私は引っ張りだこ。

初めのころは何でも付き合ってあげていたけど、

リサイクルショップの値下げ交渉ばかりさせられて嫌になったので

彼氏ができたのはありがたかった。

 

石垣島は、港からちょっと歩くと町中につく。

日本のタクシーは高いのでみんな暑い中ぞろぞろと港から歩き

町中をぶらついた。

石垣での人気ナンバーワンは焼肉の食べ放題!

ある時誘われて行ってみたら店の半分以上がクルーで占められていた。

クルーにとってはちょっとお高めだけど

清潔でいろんなものが食べられるとあって、

食べ放題に行くのを心待ちにしているクルーは多かった。

 

那覇はまだクルーズターミナルがなくて、

物流用の港に着岸していた。

広い敷地を歩いて港の外に出ることもできるけれど、

港湾地帯なので近くにはコンビニしかない。

ので、夜になると近くのコンビニの前にはビールを買って

店先で飲む外国人がわんさか…

あの頃、あの辺に住んでた人たちはなんか物騒な感じがしていただろうな~~笑

(ちなみにこのコンビニはなかなか商売上手で、

 市場価格より高めの設定でこっそり両替もしていて

 かなり儲かっていたと思われる…)

 

日中はお客さんもクルーも乗れる無料のシャトルバスが

那覇市内まで運行していたのでそれを使うことが多かった。

那覇まで来ると米軍関係者も多いせいか、

ショッピングセンター内に自動両替機が設置してある。

石垣では銀行でしか両替できないからクルーの多くは

那覇で両替しないと遊べない。

ので、下船できるときはこれまた長蛇の列のほぼ全員がクルー。

これまたあの時買い物に来ていた人にとっては

なんとなく怖い雰囲気だっただろうな…笑

 

インドネシア人の彼は母国でドラえもんを見ていたので、

些細なことに感動しては喜んでいた。

ショッピングセンターのラーメン屋さんで暖簾をみて大はしゃぎしたり、

念願のどら焼きを食べてみたり。(どら焼きは好物になりました)

かなりいろいろなことをアニメから知っていて、

さすがアニメの力。

 

私も食べ物にはさんざんお金を使ったものでした…

 

 

 

 

船の中の恋人たち

今日はちょっと目先を変えて、船の中の恋愛について。

私は27歳で初めて船に乗ったけれど、

初乗船でこれは結構遅い方。

最初に乗った船では、クルーズの専門学校を卒業したばかりの

中国人が多くいて、これがまだ18歳とか19歳の若さ!

やはり長く乗れば偉くなるけれど、そこまでやらないクルーも多いので

実際に下っ端として働いているクルーの多くは20代がほとんど。

そして契約期間は半年以上、人間関係は狭い船の中のみ。

となればあちこちでカップルができます。

やはり同国人が多いけど、船ならではの国際カップルも。

 

私はとてもやさしいインドネシア人に熱烈なアプローチをうけ

日本にも恋人はいなかったしお付き合いすることに。

こうなると前述の上陸タイムも前より断然楽しくなる!

彼はインドネシアコミュニティーも大事にしていたので

台湾料理屋さんには彼の友達のインドネシア人と

グループでしょっちゅう行っていた。

彼の友達は中国人の女の子と付き合っていて

その女の子がかわいい!

私の彼とあなたの彼は船の中で兄弟だから、

あなたは私の兄嫁さんね💛

なんていって中国語で兄嫁を意味する嫂子と呼んでくれた。

私も彼女を妹妹と呼んで仲良くしていたけれど

しばらくして二人は破局、兄嫁妹関係もはかなく終わってしまったのでした…

 

ところで船内カップルの一番の関心は夜の生活。

最初のキャビンでは、3人のフィリピン人と一緒だったのだが

そのうち一人がまさかの妊娠。

たまにうちのキャビンに彼氏が泊まりに来てたけど、

全然気づかなかった!してたの!?

とびっくり。

(私のことはとりあえずシークレット!)

 

最初の会社はみんな契約期間が一度終わっても

また同じ船に戻ってくるので関係を続けるカップルも多く、

妊娠したり結婚したりする子たちもいたけど

次のヨーロッパの会社は契約期間が終わると次に乗る船は変わってしまう。

ので、多くのヨーロッパ人はとにかく遊ぶ、遊ぶ。

イタリア人の女の子はキャビンの壁に地図をはってしるしをつけ、

「いったことのある国?」と聞いたら

「寝たことのある人の国よ💛」と答えたとかなんとか。

特に上級船員は3カ月程度で船を変わるので

とにかくちょっかいかけまくり。

女の子もやはり制服効果か、結構すぐにOKしちゃうので

期間限定カップルが大量に発生していた。

中にはお客さんに手を出すつわものも。

詳細はかけませんが、フロントのブラジル人がかっこいいといっただけで

その夜そのブラジル人がさっそく忍んできた、という話もあります。

私は。。。内緒💛

 

ちなみにインドネシア人の彼とはプロポーズまでされたけど

会社を変わったり超超遠距離の不都合があったりで

そっと終わりを迎えた。

友達としてフォローしていたfacebookで、彼が結婚し

子供にも恵まれたことを知り、よかったなとしみじみ思った。

ちなみに同時期に船に乗っていた私の友達は

それぞれ国際結婚をして子供も生まれ今もみんな幸せそう。

最初の会社はなかなか幸せ率が高い。。。

 

上陸! 台湾編②

さて。台湾ホームポートの基隆は、台北にほど近い。

通常の休憩時間ではさすがにいけないけれど

クルーズがキャンセルになった日は時間がたっぷりあるので

バスで一時間かけて台北にみんなで行ってみた。

 

いわゆるリゾート地ばかりめぐるので、

この都会感が目新しい。

でもみんな貧乏だし、物価は高いので結局

台北101の足元の夜市で安グルメを満喫。

そしてバスで再び基隆に帰るのだった。

 

ところで、台風の時にはキャプテンから

「飛んでくるものに気を付けて上陸してね~~」とのんきなアナウンスが入る。

そして、実際台湾の人たちものんき。

台風に慣れているためかよっぽど荒れるまでは

店も屋台も開けているし、バイクもぶんぶん行きかっている。

一番驚いたのは営業中の靴屋さんの軒先で

その家の家族が焼肉やっていたこと。

天気もあれだが、営業中の店前でやっていることに

日本人の私はかなりの衝撃を受けた。

まあ、夕飯食べながらでも接客できるから一石二鳥だよね。

日本にもこれくらいの余裕があってもいいかもね~~

 

台湾でほかに行ったのは高雄や花蓮澎湖といった町。

高雄では町のあちこちに金華ハムが干されていて斬新。

日本産の果物も売っていた。

花蓮では、人がほとんど乗っていない移動クルーズだったため

クルー用のツアーが企画され、観光客として訪問できた。

有名な太魯閣渓谷を歩いたり、少数民族のお料理を楽しんだり。

ここで衝撃を受けたのは他国籍クルーの自分大好きさ。

どの場所で写真を撮ろうとも、自分が一番素敵!

自分が一番美しい!とばかりにポーズ、決めポーズ、はいポーズ。

その時一緒だったもう一人の日本人と

半ば憧れを抱きつつ、彼らの延々終わらない写真撮影会を見ていたものだ。

上陸! 台湾編①

短い休憩中にも上陸したいのがクルーの本音!

今日はまず台湾クルーズの港について思い出してみるよ!

 

基隆(キールン)@台湾

この台湾クルーズのホームポートになっていた港。

私にとってはじめての港なので最初はその異常さに気づいていなかったけれど

とにかく町のど真ん中にクルーズセンターが位置している。

のでお出かけにはピッタリ。お客さんも乗下船がとにかく楽。

 

少し歩くと台湾名物の夜市がある。

時々あるクルーズキャンセル(台風接近など)の夜は

しばしば訪れたこの夜市、一応怪しい日本語もあったり英語もあるので

中国語が読めなくてもいろいろ楽しめる。

海沿いなので海産物の屋台が多く、ここで初めて食べてはまったのは

牡蠣オムレツ。オムレツといっても片栗粉?か何かを使っているので

モチモチした皮に小ぶりの牡蠣がつつまれ

特製ソースもおいしい!

コンビニではこの味をイメージしたポテトチップスも売っていて

こちらもおいしくて気に入っていた。

 

そして日本で今更はやっていたタピオカミルクティー

台湾ではあちこちにこのお店があって、

しかも大きくて安い。

ひいきの店は10杯買うと1杯ただのカードを作っていて、

国家的問題で台湾に上陸できない中国人クルーに頼まれて

しょっちゅう買いに行っていた私はポイントをためまくっていた。

当時(10年前)は日本であまり売っていなかったので

日本に帰ってからは懐かしくて恋しかったな~~

今は日本で売っているけど小さいのに高いので結局飲んでいない。

 

さらに夜市の近くには衣料品店街があり、

様々な種類の洋服がとても安く売られていた。

台湾で300円くらいで買ったワンピースが

那覇で3900円で売られていて驚いたこともある。

周りのフィリピン人クルーの露出がとにかく激しかったので

なんだか影響されて日本では買わない服をたくさん買って

日本で全く着れなかったのはまあ楽しい思い出…

 

そして今でも忘れられないのが台湾料理屋さん。

船から近く、安くておいしいと三拍子そろっていたので

クルー御用達のお店だった。

店主は英語が全然できないし覚える気も全くなさそうだったけど

クルーのめちゃめちゃ中国語や身振り手振りで話は通じ、

今でも世界一おいしいと思うチャーハンや

そのほかの料理を食べるのが本当に楽しみだった。

この前グーグルアースで見てみたら

店はなくなったのか、うまく探せなかったけれど

今でも行きたい一番のお店。

近くにインドネシアショップがあったので

船のインドネシア人と行くのが当時のはやりでした…

クルーの毎日

クルー、乗務員は基本的に乗船中の休日はない。

クルーズ自体、ホームポートに入ったらその日にまた

すぐ次のお客さんをのせて出港するから休みがない。

ので必然的に働いているクルーにも休みはない。

もちろん部署によっては時間休をくれたりするところもある。

 

クルーの契約期間は3カ月~10カ月くらいでポジションやコース、

会社によって異なる。

偉い人の方が契約期間は短く、休みの期間は長い。

下っ端クルーは半年から10カ月船に乗りっぱなしで

毎日10時間以上働いている。大変なんですよ!

 

最初に乗った船では諸々の事情により

レストランでウェイトレスとして働くことになったが

レストランは朝、昼、晩と仕事があり

合間合間に短い休憩時間がはさまるだけで

コースによっては朝5時前から夜11時過ぎまで仕事の日もあった。

とはいえ港に停泊中は船上のお客さんも減るので

私のいたレストランでは半分くらいに休みをくれて

外に遊びに行けることもあった。

休憩時間短いんだから休めばいいのだけどやはり遊びたいのが人情。

船の上でのストレスを発散するためにほとんどのクルーは

時間があれば上陸して何か食べたり、観光したりしていた。

 

クルーの給料はかなり安い。

それでも船に乗っていればまずいながら食事も出るし

ユニフォームのクリーニングもしてくれるし

最初の会社ではストッキングや時には化粧品をくれたりしたので

何もしなければ契約期間の最後にはそれなりにお金がたまるはずなのだが

ストレスには勝てないんだよね。

上陸しなくても、夜になると開く

クルーだけのクルーバーでちょっとつまみながらお酒を飲んでしまう。。。

結局飲食費はどうやっても削れなかったりする。

 

私はその時母ががんで入院していたので

毎月給料が出ると日本の郵便局からお金を送っていた。

アジア船では銀行方式になっていて、お金は船内の銀行で預かってくれるけれど

ヨーロッパ船はまさかの全額手渡しで、

契約期間が終わるまでお金の隠し場所には悩まされた。

まぁ誰にもとられなかったけど。

 

 

 

クルーズ船の中

私が初めて乗ったクルーズ船は

排水量5万トンの中型船だったけれど、

初乗船の感動はいまだに忘れられない。

 

船は、お客さん用とクルー用で基本的には別の出入り口を使う。

でも初乗船の時は気を使ってくれたのか、

お客さん用の入り口から中に入れてくれた。

 

第一声は「わー!」でしかない。

その時の入り口はちょうど船のど真ん中につながっていて

吹き抜けのホールに白いピアノと大きな花、

それをぐるりと囲むようにフロントやレストランの入り口があった。

基本の色調は赤。ゴージャスに見えるためにか

足元のじゅうたんも赤。

外から見る船も美しいが、この絢爛豪華さときたら!

もちろん後にもっと派手でもっと大きい船に乗るようになるのだけれど

やっぱりこの時の印象は今も鮮やかだ。

そして何隻も船を乗り換えたけど、今でも一番大好きなのはこの船だ。

残念ながらもう乗れなくなってしまったけれど…

 

クルーズ船は動くホテルといわれるが、ホテル並みかそれ以上に施設が充実している。

このサイズの船でも美容室免税店レストラン五つにカラオケバープール劇場

そしてアジアクルーズでは忘れちゃならないカジノが三つもあり

クルー用には食堂やバーがあった。

そしてそれ以外のところに客用とクルー用のキャビンがそれぞれあって

一つの船をなしている。

クルー用の施設は基本的に喫水線より下のデッキ。

万が一浸水したら一番危ないところですね。クルーよりお客様です。

ただし船長や一部高級船員はブリッジの近くやその前後のデッキに部屋がある。

偉い人は高いところがお好き。

と、まあ何かあったときにすぐデッキに駆け付けられるようにね。

 

メインのレストランやショップなどは真ん中付近のデッキに集中している。

船の真ん中は酔いづらいし、上下のお客さんが移動しやすいからかな。

あとは最上階にプールやいくつかのレストラン、バーがあって

初心者はなかなか迷う。

船の中は前後感覚がつかみづらいのだ。

大きな船は動いている感じがしないし、船の構造上

窓がない廊下が多い。

同じようなドアがずらっと続くゲストエリアでは

しょっちゅう道を見失うお客さんが発生したものだ。

クルーは基本的にゲストエリアをうろうろしてはいけないのだけれど

私は日本人客のケアというちょっと特殊な仕事だったので

ゲストエリアをうろうろせざるを得ず、最初はしょっちゅう迷子になっていた。。。

 

クルーズ船で働きだす

そもそも最初はワーキングホリデーについて情報を探していたのに

たまたま見つけた「広告」が私の人生を変えた。

 

そこには「無料で英語が学べる!」という

なんだか怪しい謳い文句。

見てみると、某アジアのクルーズ船で働きながら

英語が学べるインターンシップの紹介らしい。

いいじゃん!お金かからないのいいじゃん!

と応募して、スカイプ面接のはずが向こうのPC調子悪くて

普通の電話面接になって、

しかも面接っていいながらもう給料の条件とか言ってて、

気づけばこれはインターンシップじゃなくてただの求人だった。

 

そして南国マレーシアでのトレーニングを受け

配属されたのは台湾発着、日本行きのクルーズ客船…

えっ、ちょっと待って!!

日本にはしばらく帰らない決意で携帯も解約したのに

気づけば週3~4日は日本国内にいるというこの状況…ありー。

でも最初のうちはホームシックになったので

時差なく家族と会話できるこのコースはある意味正解でもあったのだが…